|
|
大正十二年一月 久田野駅で列車脱線裏故
白河在久田野駅の惨事 全速力で進行し来った四○二号列車
の大脱線 三十分遅延が原困で稀有の大椿事 死者六名重軽
傷ニ三名
九日午前二時三七分東北本線久田野駅にて、新潟より上野直行
第四〇二号旅客列車が喜多方駅にて遅延し(若松駅午後十時五
〇分通過)二一分遅れに進行してきたので、奥羽線廻り青森行
き第七〇五号下り列車と交互する必要上通過駅なる前記久田野
駅に停車せしむることとなり、当番駅長伊藤浅吉氏は停車の信
号をなしてゐたが機関手井口源蔵(三二)、助手石野信次(二
四)が気がついた時は既に遅く、三百分の勾配のため速力を節
制し得ず遂に引込線に入り砂盛を越えストッブを突破して機関
車はストップ、傍らの幅二問の久田野川に墜落し前連結の小型
手荷物列車はストップの上にのぼって粉砕し余力を以て第二輌
目の客車は車体を突っ込んで該列車をも破壌せしめたため、同
室の乗客七百名中即死六名、重軽傷者二三名を出すの大椿事を
演出した
〔「福島民報」大十二・一・十号)
【解説】新聞の第一面のほとんどを費した記事の冒頭部分を抜粋した。
以後も責任者の公判まで詳しく報道された。なお、自河小蜂城跡に大正
五年白河駅運送組合等の建立による鉄道殉職者の碑がある。
[白河市史 八 三八〇]
(現場は私宅から2キロメートル。当時は単線、急勾配は改良されています。)
http://www.geocities.jp/yaswara/
|
|